なぜ医師を目指したか?

やっと医療に関する投稿です。

本日午前中は外来で、その後ささっと昼食を済ませ、病棟回診や検査を終えてほっとした時間に記載しています。

忙しい時は、昼食をとる時間さえなく、夕方に冷たい弁当を食べる…ということも多々ありました。

研修医〜後期研修医〜中堅まで土日も含めてほぼ毎日出勤、正月やお盆は休みっていう概念も働いて以降持ったことも教えられたこともなく、ほぼ奴隷のように働いてきました(笑)

ひどい時は3日に2日もオンコールと言って、緊急手術が必要な患者が運ばれてきたら電話がかかってきて30分以内に病院到着する必要があり、午前2時に呼ばれるとそのまま朝を迎え、その日の1日の勤務が始まる…ということがザラに起こっています。

ここらのブラックな医療勤務体系については、また別で時間を割いて記載したいと思います。

目次

ERに憧れて

では、なぜこのような激務なのにこの職業を選んだのか?(選んだときにはここまで激務と思ってなかったし、なんなら、若いうちは、これが激務だとおもっておらず楽しいとおもっていたこともあった。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/ER%E7%B7%8A%E6%80%A5%E6%95%91%E5%91%BD%E5%AE%A4

中学生のときに見た「ER救急救命室」という米国のドラマの影響が大きいです。

若い研修医:カーター、凄腕若手黒人外科医:ベントン、主軸救急指導医:マークなどなど

日本の医療ドラマとは一線を博した本格的な医療ドラマです。

ちょうど中学生のときにNHK衛生放送で毎週やっていて、なぜ見始めたのか覚えていませんが、毎週楽しみにしていたのを覚えています。

私自身は、親族に医療従事者はおらず、一般的なサラリーマン家庭で育ちました。

特殊な点は、小学校を2回転校したことだけでしょうか?小学校の転校は大人になった今でもつらかったことを覚えています。特に2回目の転校は、楽しかった小学校を転校しなくてはいけないということもあって非常に辛いものでした。プラスに考えると、その経験が自分を強くしたかもしれないです。

子供の転校がその子や家族に与える影響についても、自分なりの体験談を含めて記事にできればとも思っています。ちなみに、私の子供は今のところ転校をせずに友達と楽しく過ごしています。

話を戻します。

周囲に医療従事者がいない私が医者を目指したのは、たまたま観たERによるものが大きいです。

さらには、激務にも耐えている精神力は、ERの登場人物が全員激務に耐えていたことが土台になっていると思います笑。「医者って、人を救うためにはある程度の自己犠牲は仕方ない」という考えがこの時から潜在してきたのかもしれません。

ともあれ、医師を志す人、または、子供が医師を志してほしい人(親)は、一度はERを視聴することをおすすめします。あまりの激務さに医師という職業が嫌になる可能性もありますが、なってからでは遅いのでどちらにせよ観る価値はあります。

さて、中学生のときにドラマに影響され、なんとなく「医師になりたい」と思うようになりました。

小学校と中学での度重なる転校

小学生のときは塾とか行ったことがなく、中学生の時から地元の塾に通うようになりました。もともと負けず嫌いの性格が功を奏して、偏差値も高めにキープできるようになっていました。

ただ、不幸は何度も訪れます(そこまで不幸ではないのですが)。

親が突然家を買う!などと言い出し、中学校の校区が変わる、それだけでなく、高校の学区も変わってしまう暴挙にでました。子供には全く相談がなく、突然「家買うことに決めたから!」という感じでした。まぁ、親は親で、手狭になった賃貸マンションに閉塞感を感じていたのでしょうが…。

この時、私は中学2年、妹二人は小学生の多感な時期でした。しかも、夏です笑。

中学2年生で受験の学区が変わるのは非常に精神的に堪えたのを覚えています。公立高校の進学校を目指していたので、内申点は非常に重要ですし、友達、部活、先生の評価を一から確立するのが非常に不安でした。そして、引っ越した先の中学校は荒れに荒れており、不良が生徒の半分くらいいるんじゃないかと思われるくらいの状況でした。しかし、不良ともある程度うまく付き合いながら、勉強もなんとかこなし、その学区の一番の進学校を目指し勉強していきました。

今思えば、遊びなどの誘惑に耐えながら、あの中学校から進学校に入学できてよかったです。人生狂っていてもなんら不思議ではありませんから笑

高校時代

学区トップの公立進学校に入学できました。最初の中間テストで400人中30番くらいで

「楽勝やん😄」

って思ってしまったのが全て間違いでした。

公立高校ですので、教師も進学校とはいえ教科書通りの授業のみ、長期休暇も宿題のみ。部活や友達など行動範囲も広がったこともあり楽しいことばかりで、みるみる成績は下がっていきました。

高校2年生の冬の実力テストでは、なんと、

「400人中370番😱」

と入学時の真逆の成績となってしまいました笑

かなり薄れていた医学部への思いですが、なんとか必死に思い出し勉強を始めました。

高校3年春の最初の実力テストで400人中30番に返り咲くことができました。当時、その高校は京都大学に現役と浪人合わせて60人以上合格できていたので、

「(学部選ばなければ)京大くらいは入れるだろう」

と安易に思ってしまったのが、またまたダメでした。

そこから、鳴かず飛ばずで伸び悩み、センター試験(今の共通試験)で大こけ浪人することとなりました。

浪人後は、その当時の浪人生正規ルート(笑)の駿台予備校に通うようになります。どうせ浪人するなら京大か医学部と決めてそれなりに勉強しました。

大学受験

満を持してセンター試験で国語大こけ…😭

しかたなく国語の配点が低い京都大学理系学部を受けて、それなりに二次試験ができたので無事合格😄

京都大学に入学できたものの、消えない医学部への憧れ。

なにせ、京大医学部は敷地や建物が他学部より段違いで優っていました。

憧れきえず、仮面浪人を決意!

京大の事務の方に聞いても

「医学部に受かったら退学申請してもらえれないいですよ^^」

と、なんと寛大なお言葉をいただきました。さすが京大。大学によっては、やめないと受験を認めてもらえないところもあったようです。

一応、大学で単位を取得し保険をかけながら仮面浪人しなんとか国立の医学部に入学することができました。ちなみに、めちゃめちゃ勉強しました。

「大学への数学」「Z会」などなど塾には通っていませんでしたが、孤独に耐えながら勉強をしていました笑

今思えば、諦めずに医師を目指して本当に良かったと思います。

なぜよかったと思うのか?

また機会があれば記載したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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この記事を書いた人

総合内科専門医と循環器専門医資格をもつ精神科医の備忘録です。
①医療のこと(循環器、精神科領域中心)
②子供の受験のこと(小学6年生 浜学園 公文)
③投資のこと(米国中心の投資について)
④時短家電のこと
⑤論文のこと(論文の読み方、書き方など)

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