おい!まだ続きあるんかい!って怒らないでください。
結果的に、患者さんも助かり、自分の子供たちも良くなって退院できたのですが、その後のエピソードです。少しだけお付き合いください。
前回まではこちらをご参照ください。
ある日、この記事を仕事が終わる夕方にでも書こうかなって思っていたのですが、市の保健所長から直々に私に電話があり、新型コロナウイルスによるクラスターが発生した、同じ市内にある病院に手助けに行ってほしいという内容でした。そこの病院には指揮をとれる医師がいないから私にそこに行ってやってくれないか?との断れない打診をされました。
「なんでお前にたのむねん!作り話もほどほどにしろ」って怒られそうですけど、いろんな巡り合わせで過去に大規模コロナクラスターの陣頭指揮をとった経験があり、それで今回依頼がありました。詳細はいつか記事にしたいと思います。コロナクラスターの経験もまさに激烈でした。
さきほど帰ってきて疲れてはいるのですが、熱が冷めないうちに記事にしてしまいたいのでカタカタとキーボードを叩いています(夜10時)。
そんなこんなで誤字脱字が多いかもしれませんが、お許しくださいませ。
退院後
心筋炎の患者さんは退院し、お薬の処方や定期的な診察などはバイト先の病院で私が主治医をし、大学病院では心エコー検査などフォローして二重に管理をさせてもらっていました。大学の検査機器はハイスペックですし、大学じゃないとできない検査とか多々ありますから。
心筋炎の患者さんの心臓機能は、大部分が正常化し後遺症というものを残すことは少ないです。しかし、「劇症型心筋炎」は劇症化の名残で心臓の機能が低下したままになるケースがあります。
私が出会った患者さんは、まさに後者のケースで退院時に正常の半分くらいしか心臓の機能は改善しませんでした。心臓の細胞を一部採取して顕微鏡で見る「病理検査」でも、劇症化の名残である線維化が散見され今後回復の見込みが低いことが示唆されました。
それでも、2〜3週間ごとに私の外来に来院され元気な顔を見せてくれます。入院中に絶えず旅行に行きたいとおっしゃっていたので、できれば早めに実現させたい想いで診療にあたっていました。
患者「子供たちとディズニーランドに行きたいんです」
私「ディズニーはまだもうちょっと無理ですけど、まずは近場はどうですか?」
などと少しずつ日常を取り戻すような前向きな感じでした。
心臓の状態を表す採血検査で「BNP」というものがあります。心臓が悪くなると数字が上がります。だいたい100を超えると悪い心不全とされ、400を超えると退院後も再入院のリスクが高いとされています。
この患者さんは2,000前後で推移していました。
お薬の調整も難渋しました。トルバプタンと呼ばれる特殊なお薬を上限超えて使ってもなかなか心不全の症状が改善しません。
それでも前向きに旅行を目標に治療を継続していきました。ある期間、症状も和らぎ一泊二日で温泉旅行に行くことができとても喜んでおられました。ただ、ディズニーまでは遠い。距離も心臓も。
しかし、安定した状態は長くは続きません。
悪化
心臓は「線維化」が起こると、徐々に心臓機能が落ちて行く場合があります。
線維化とは、心臓の筋肉細胞が炎症などで破壊され、代わりに線維という組織に置き換わってしまいます。
結果として、心臓の筋肉が減少し心臓のパワーが失われ「心不全」という状態に陥ります。
心不全については、過去記事にも書いていますので、興味があればご参照ください。
線維化は時々周りの正常な心臓の筋肉を侵して行くことがあります。腐ったみかんが一つあると、周りの正常なみかんも腐って行く…ようなイメージです。
この患者さんの場合も線維化が線維化を呼び、心臓の機能が徐々に低下していきました。やはり、症状も悪化していきます。
私が大学で勤務する間に再入院となりました。状況把握、治療、今後の方針を決定するためです。私は、心臓の中でも専門が異なる領域でしたので大学病院での主治医は外れています。「心不全」チームが管理することになります。
心臓機能はだいぶ低下し、「心臓移植」を検討しなければならない段階となってしまいました。心臓移植は私の大学病院ではしていませんでしたので、専門施設へ紹介する必要があります。
心臓移植はめちゃくちゃハードルが高いです。当たり前ですが。心臓移植についてもいつか書いてみたいなと思いますが、いまは詳細は割愛します。
まずは心臓移植の適応となるかどうか、いろいろな検査などを経て移植登録(移植の順番待ち)されます。さまざまな検査をして、精神状態、支える家族がいるかなども確認します。移植はまさに長期戦ですし、忍耐力、家族力が試されます。
そうこうしているうちに私の大学病院での勤務が終わります。
お別れ
大学院の下っ端は論文を書き終え学位を取得し大学院を卒業すると多くの医師は大学を出て、市中の病院へ行くことが多いです。私も市中の病院に勤務することになりました。
その患者さんを引継ぎの医師にお願いし、その患者さんとお別れすることになりました。
患者「先生、お世話になりました。本当にありがとうございました。あのとき、先生のお子さんも大変だったのに私を助けていただき…」
あのときの私の状況もなぜか伝わっていました。
私「いえいえ、今ではめちゃくちゃ元気ですからお気になさらず。〇〇さんも小さいお子さんがいましたし、絶対助けなきゃって思っていました。ただ、まだまだ大変な状況は続くと思います。でも、諦めずにディズニーランド行ってくださいね。」
涙でした。
ニアミス
市中病院に異動した後も、主治医をしていた医師からその患者さんの現状報告をときどき受けていました。
やはり心臓移植になりそうで準備を進めていると。
いつしか患者さんも移植準備などで病院も移り情報も途絶えてしまいました。
私もときどき思い出す程度になってしまっていました。
「どうしているかな」
心筋炎の患者さんを診療ことがあると、やはり脳裏には蘇ります。なかなかあそこまでの症例には出会えません。
そうこうしていると、数年の月日が流れました。日々の診療で忙しく働いていました。
そんな中、心筋炎とは違う疾患の重症患者に出会い、その患者さんも移植が必要かもしれないということで移植ができる施設へ搬送することになりました。そう、あの患者さんが移った病院と同じです。
患者さんを搬送したときに、移植施設の医師に尋ねました。
私「〇〇さんってこちらで移植を受けましたか?」
医師「え?昨日まで入院してたんですよ。先生とどういう関係があるんですか?」
私「最初に治療させてもらったんです。初診から最初の退院までです。」
医師「そうなんですか!〇〇さんは、移植が終わり落ち着いています。昨日まで検査入院だったんですよ。」
私「ニアミスですね(笑) もし次診察されるとき、よかったね、ディズニーランドいけますねって伝えてください」
医師「わかりました」
とても嬉しかったです。
心臓移植はものすごくハードルが高いので。無事に受けられたんだと。
手紙
その後、一通の手紙が届きました。
拝啓
新緑の候 お変わりなくお過ごしでしょうか?
ご無沙汰しております。
以前、〇〇病院から〇〇大学病院で大変お世話になりました。〇〇です。
私は、〇〇大学病院に通院していたのですが、毎日の生活で心臓に負担がかかり、20XX年に移植登録のため、〇〇移植施設の方に移り、20XX年に人工心臓を埋め込んでもらいました。
待機中は色々大変なこともありましたが、約2年半後の20YY年にドナーさんが見つかり心臓移植を終えました。
移植後サイトメガロウイルスに感染し再入院もしましたが、今は落ち着き移植2年を迎えることができました。
待機中、色々な先生、患者さんと出会い、
得ることも多く、泣き笑いの日々でした。
移植後2年を迎えられる今、ドナーさんやドナーさんのご家族のご理解、今まで私に携わって下さった先生方、看護師さん、家族、友達に心から感謝し、頂いた命を大切に毎日を過ごしていけたらと思います。
先生には一番初めにお世話になり、すぐに報告すべきでしたが…遅くなり申し訳ございません。
直接元気な姿を見せたかったのですが、新型コロナの影響で今は動けないため、失礼とは思いましたが、手紙にさせていただきました。
もし可能であれば、〇〇先生にも私の近況をお伝えくだされば有難いです。
先生は、お忙しい日々をお過ごしでしょうか?
くれぐれもご自愛ください。
いつかお会いできる様、私も健康管理、頑張ります。
簡単ですが、近況報とお礼まで。
敬具
全てが報われる気持ちでした。
これで本当に最後です。お付き合いいただきほんとうにありがとうございました。
医者していると辛いことも多いですが、このようなお金じゃ買えないような経験をさせてもらうこともあります。
医者になってよかったと思える瞬間ですね。
終わり
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