過酷な勤務実態「大学病院で働くということ」その4

シリーズ「その4」です。

 

 
ぽりぽり
残すところ、あと2話です。
 

長男が入院している上に、今度は次男が発病仕事を早く切り上げて次男を病院に連れて行きたかったのですが、いつ急変してもおかしくない「劇症型心筋炎」の患者に出会いました。

結果として、自分の子供を犠牲にして患者を救う方を選んでしまい

 

前回の記事では、劇症型心筋炎を呈する40代女性を大学病院に救急搬送するところまで書きました。

前回までの経過は過去記事をぜひご覧ください。

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超重症患者の治療を優先し、めちゃくちゃしんどいと思われる1歳の息子を後回しにしてしまいました

もし、この間に息子が急変してしまったら…そう思いながらも目の前の患者に集中します。

 

 
ぽりぽり
正しい選択なのでしょうか?
 
もしかしたら、次男はかなりの重症化している可能性もありますし、後遺症が残るくらいになったかもしれません。
 
本当に正しかったのか今でもよくわかりません。
 

続きを描きます。

 

目次

大学病院へ

心配そうな子供さんに見守られながら救急車に患者さんを運び込み、そばで様々なモニターを監視しながら大学病院へ向かいます。

 

 
ぽりぽり
意識が無くなってしまうのではないか…

顔面蒼白で汗びっしょり、お薬を使っても血圧は上が70mmHg、脈は150回/分と促迫。

 

救急車内は緊張が張り詰めています。

私「大丈夫ですか?」

と、ときどき話しかけないと意識があるのかなのか不安になります。

患者「大丈夫です」

か細い声で辛うじて答えてくれます。

 

このときほど救急車を気遣ってくれない車たちを恨めしく思ったことはありません

 

サイレンが近づいているのに、まったく救急車を優先することなく走行している。

私「全然、道を譲ってくれないんですね」

救急隊「まぁ、いつもこんなもんですよ」

と救急隊はつぶやきます。

 

歩行者も救急車より優先していいとおもっているのか、悠々と横断歩道を渡っています

大学病院までの30分がこれほど長く感じたことはありません。

 

 
ぽりぽり
(大学まで患者さんの状態が)持つかな?

とハラハラしながら見守ります。

 

ほどなく、大学病院の近くに辿り着き、「もうすぐ着きます」と電話を入れます。

 

大学病院に着くと、時間外にも関わらず、顔馴染みの医師たちが揃って待ち構えてくれていました。

心強い…

 

一人ではできることは限られているけど、チームになると力は2倍にも3倍にもなると感じる瞬間です。

患者を救急車から降ろし、そのままカテーテル治療室まで直行します。

 

カテーテル室とは、心臓のさまざまな検査をおこなったり、ECMOなどの装置を安全に装着できることができる治療室のことです。心筋梗塞や狭心症、不整脈などの病気を治療する手術室でもあります。

 

カテーテル室では、すぐに検査や治療に取り掛かれるように医師だけでなく看護師や臨床工学技士(ME)が待機してくれてました。屈強な心臓血管外科の医師たちもいました。

冠動脈造影検査を行った後にスワンガンツカテーテルを留置し、血圧が不安定なためIABPを留置します。

 

スワンガンツカテーテルは心臓の状態を細かくモニターする装置で、IABPは心臓を助ける装置です。

IABPを装着するとやや血圧は上昇しましたが、脈が早い状態では効果が薄いため十分ではありません。

 

ECMO(エクモ:心肺補助装置)が必要です

ECMOを装着すると苦痛が強いので、麻酔薬で意識を落とす必要があります。そうすると会話ができなくなるので、夫と子供さんの到着を待ってECMOを導入する方針としました。もしかすると最後の会話になるかもしれないので。

 

もう23時を回っていました。人数も揃っており私がいなくても十分な状態になっていましたので、

「すみません、子供が心配なので家戻ります」と告げ、帰路に着きます。

 

ただ、私の車はバイト先の病院においてあるので、タクシーでバイト先の病院にもどりヘトヘトになりながらも急いで自宅に戻りました。

もう24時過ぎ

24時過ぎてちょうどくらいに自宅に戻れました。

 

扉を開けると、ごほごほと咳、苦しそうな泣き声が聞こえます。

妻の母に抱っこされながら、うとうとしつつも咳と熱で寝られない状態でした

 

一歳になったばっかりの子供にはかなりの苦痛でしょう

「ずっと苦しくて寝られないみたいなの」と母。

 

妻の母も看病疲れでくたくたでした。

母に代わり、息子を抱っこします。抱いた瞬間、熱が伝わってきて体温を測らずとも高熱なのがわかります

 

すぐにでも救急病院に連れて行きたかったのですが、長男が入院しているところは本日の深夜の救急はやっておりません。他の病院に連れて行った場合、おそらく次男はその病院に入院することになるでしょう。そうなると、長男と次男が別々の病院に入院することになりますので生活的に破綻します

 

朝イチで長男のいる病院を受診することに決めて、その晩はソファで次男を抱きかかえて朝になるのを待ちました。ベッドで横になることは苦しそうなので、縦抱っこでソファに座って抱きしめてました。疲れているとは言ってられません。

幸か不幸か、病院で当直という訓練をしていたため夜通し起きていることになんとか耐えられました。

 

ここは賛否両論あるのは承知です。

妻の母に病院に連れて行って貰えばよかったのではないか?

長男と別の病院でも夜中に連れて行くべきだったのではないか?

 

最初のご指摘はごもっともです。明らかに判断ミスでした。膀胱炎だろうからすぐに診察が終わるだろうと甘く見ていました。結果として、判断が遅れてしまいました。鬼滅の鱗滝左近次さんがいたら、「判断が遅い」とビンタくらいますよね

 

「鬼滅の刃」より

 

夜中に行くべきかどうかは本当に悩みました。医師である私の見立てで朝まで待てると判断しました。ただ、急変していたらめちゃくちゃ後悔したでしょうね。結果論です。

 

やっと朝

次男も私もほぼ一睡もせずに朝を迎えました。妻の母も寝られなかったようです。申し訳ない。

すぐに長男のいる病院を受診し、検査してもらい「肺炎」と診断され即入院となりました。レントゲンでがっつりと肺炎像を認めます。酸素飽和度(SpO2)は80%台と悪いです。

 

 
ぽりぽり
さぞ苦しかったろう、ごめんな。

と自責の念に堪えませんでした。

 

昨年と同じように、個室を借りて長男と次男を同室にしてもらいました。個室料金はかかりますがやむを得ません。

酸素投与、抗菌薬の点滴が始まりくたくただったためか、苦しそうながらも寝られるようになったようです。

 

長男はやや回復していましたので、次男を妻に預けてお昼から大学病院へ戻りました。もう社畜ですよね

あの患者さんがどうなったのか気になっていました。無事なのかどうか。

 

私と同じように、その患者さんには子供が二人いますし、他人事ではないような気持ちになっていました。

 

LVAD

大学病院に着くと、昨日の医師たちから、

「LAVDになった」

とのことでした。

 

LVAD(左室補助人工心臓 )とは以前の記事にも描きましたが、高度に低下した心臓を補助するために心臓に装着する機械です。

筑波大学病院HPより https://www.md.tsukuba.ac.jp/clinical-med/cardiology/clinical/clinical03.html

 

劇症型心筋症で当分の間心肺補助装置が必要で、ECMOだと歩行も食事もできないので様々なリスクが生じます。LVADだと、装着しながらリハビリや食事が可能ですのでLVAD装着に至ったようです。

 

LVAD装着になると、心臓血管外科による手術が必要になります。術後は心臓血管外科が主治医になりますので、ふっと肩の荷が降りたような気持ちになりました。主治医になるとつきっきりになってしまいますし、これほど重症症例だとプレッシャーも並大抵ではありませんし。とはいえ、循環器内科もチームの一員として支えます。

 

ICUへ行くと、LVADの手術を終えた患者さんが戻ってきていました。

生きている姿を実際をみると、ほっとしました

 

息子に苦しい思いをさせてしまいましたが、ベストとは言わないまでもベターだったのかなと思えました。

私自身もほぼ寝ていないので、どっと疲れが出て簡単な仕事を済ませた後、早めに帰ることにしました。帰ると言っても長男、次男の待つ病院に戻るんですが。

 

妻もちゃんとしたものを食べてないとのことで、少し豪華な弁当を買って帰りました。その日は、長男と同じベッドで添い寝し、また朝、大学病院に向かうのでした。はい、社畜です。

 

山あり谷あり

LVAD3日後には抜管でき、うつろうつろながらも会話ができるようになりました。抜管とは、人工呼吸器に必要な口から挿入しているチューブを抜くことで、大きな一歩とされるマイルストーン的な出来事です。

 

一般の方には全くわからないかもしれませんが、患者さんの経過を一枚のスライドにまとめることがよくあります。当時、プレゼンテーションするために私がまとめたものです。

 

11日目から立位(立つこと)を開始し、17日目から歩行開始をします。LVADをつけたままするので、医師(私)、臨床工学技士2名、看護師など複数名で見守りながら一歩一歩確実に進んでいきます

 

劇症型心筋症でほとんど動かなくなっていた心臓が徐々に回復してきたので、様々な検査を行ってからLVADを離脱しました。かなりのビッグイベントでしたね。「LVAD離脱」っていう水色のギザギザのところです。

 

その後、ほんと山あり谷ありありましたが、約2ヶ月で退院となりました。ちなみに、LVAD離脱後は私が主治医となり管理させていただきました。

 

 

今思えば

長男も次男も入院してから徐々に良くなり、10日後に退院することができました。

今思えば、完全に結果論ですがベターな選択だったと思います。決してベストとは思いませんが。

 

この患者さんにもお子さんがいましたし、もしあの時、私が間違った選択をしていたらと思うと背筋が凍ります。

最初にCTを撮らずに診察していたらお薬処方して帰宅させていたかもしれません。その場合、亡くなっていた可能性が高いと思います。

 

でも、逆に、次男が呼吸困難で急変し恐ろしい事態になっていた可能性もあります。その場合、後悔してもしきれないと思います。

全てがうまく行ったから言えますが、私の医師人生において得難い経験であったことは間違い無いです。

 

敢えて言うならば、大学病院のシステムに欠陥があったのは間違いないですね。ここまで社畜に飼い慣らされてると麻痺してしまいますが、非常勤ならまだしも無報酬で働かされていたのは、賃金の問題だけでなく困った時の救済システムさえ作動しませんし異常な状況です。

 

この度のコロナ禍でも大学病院での「無給医」の問題が取り上げられていました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200416/k10012389611000.html

 

何の補償もないまま、無給でコロナ診療に駆り出されるのは酷すぎました。コロナに罹っても使い捨ての駒のようです。また、コロナ禍はバイトにも行けなくなるような事態に陥った無給医もいました。

以前よりだいぶ改善されてきてはいるようですが、大学院生や大学で働く下っ端医師の待遇改善が望まれます。

 

小さな声でも挙げて行くことにより、何らかの改善がなされればと思い記事にしました。

長文駄文を最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

👇ラストです。どうぞお読みください。

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この記事を書いた人

総合内科専門医と循環器専門医資格をもつ精神科医の備忘録です。
①医療のこと(循環器、精神科領域中心)
②子供の受験のこと(小学6年生 浜学園 公文)
③投資のこと(米国中心の投資について)
④時短家電のこと
⑤論文のこと(論文の読み方、書き方など)

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