実際に私が大学病院時代に経験した、家族を選ぶか、患者を選ぶかという究極の選択を迫られた時の話をします。
それがいやで多くの人が経済的自由を獲得するためにFIREを目指す理由の一つだとおもいます。
今回のお話は、私が大学病院に勤務していたときに実際に起こった話です。
「子供を選ぶか」「患者を選ぶか」という選択でかなり心の中で葛藤しました。
みなさまであれば、どうするかご意見を伺えればうれしいなと思う状況でした。
いまから10年も経っていない大学病院勤務の時に起こった話です。
大学病院の下っ端の勤務ってこんな感じだよっていうのも織り込みながら話を進めたいと思います。
大学病院で勤務するとは
とは言っても10年も経ってはいませんが。全ての大学病院が同じではありませんし、専門科によってもだいぶ異なりますので、そこはご理解ください。
医師になって研修医2年、専門を選んで3年修練を積んだ後に、出身大学の循環器内科という心臓を専門とする内科の大学院に進むことにしました。
私の場合は医師になって6年目に大学院に進学しました。
工学部とか理学部などの医学部以外の大学院って大学卒業し、そのまま進学し修士課程とか博士課程を選ばれると思います。医学部は特殊で、大学を卒業後2年間は初期研修医として勤務します。
その後、多くの医師の場合、後期研修といって専門科を選んでから2〜3年間診療に従事することが多いです。次に、大学院進学を目指す場合は、大学院の試験を受けて合格すれば大学院に入学できます。
そして通常4年間、博士課程に進むことになります。
「大学院生」なので、入学金と授業料が必要です。
私の時で入学金が30万くらいだったと思います。授業料は年間60万円弱でした。それくらいが必要になります。
授業はちょっとだけあります。私の場合、英語の授業以外まったく記憶がないレベルの授業でした(単位取得のためだけに行ってました)。
英語の授業は、ネイティブが講師として授業してくれましたので、英会話レッスンとして通ってました。その英語の授業でさえ、参加者はわずかでした。そのわずかな参加者も時が経つにつれて減っていきました。
では、大学病院で診療はしないのか?
大学院は通常、「研究」を目的に進学します。
基本的には、「診療(=医療行為)」から離れることになります。
ですが、
悲惨なのは、「大学院生」なので、大学病院から支払われる給与は「ゼロ」です。特殊な場合を除いて(後述します)。
私の進学した循環器内科は比較的ブラックで(まぁドコも同じようなものでしょうが)、大学院1年目は研究よりも病棟での診療をさせられます。
具体的には、入院患者さんの担当医、検査、研修医の教育、当直などです。
ほぼ毎日、大学病院に出勤し患者さんの診察、治療、カンファレンスなどなどするのですが「ゼロ円」なんです。
もちろん、土日祝日もだいたい担当患者さんの回診はしていました。
ですが、土日祝日に出勤しようが、給与は「ゼロ円」です。基本給という概念がないので、残業代もありません。
当直代っていくら?
病院や介護施設などにおけるルール(宿日直の許可基準)は以下のとおりです。
☑️ 通常の勤務形態(日勤・夜勤など)から完全に解放されていること
☑️ 通常勤務の業務は行わず、定期的な巡視・電話対応・非常事態に備えた待機・異常患者の医師への報告・少人数の要注意患者の検温など、特殊な措置を必要としない軽度または短時間の業務に限ること
☑️ 宿直は寝具・暖房などの睡眠設備を設け、夜間に十分な睡眠が取れること
☑️ 宿直は週1回以下、日直は月1回以下であること
☑️ 当直手当は、同種労働者の平均賃金の1/3以上であること
となっています。
しかし、実態は違います。
救急車が来たら対応しますし、病棟で急変患者がいたら対応しますし、他科の医師から相談されても対応しますし、法律上の実態からかけ離れた仕事を強制的にさせられています。
なんと、17:00から翌8:30まで病院に缶詰で6,000円です。
当時はマクドナルドの高校生より安くてやってられっかよ!ってみんなで愚痴言ってましたね。
救急車の対応もしますし、病棟での急変患者の対応、他科からのコンサルトも受けます。一睡もできない時ももちろんあります。
ブラック企業とかときどき報道されますけど、たぶん、我々はかなりのブラック企業に属すると思います。
当直の前後で休みとかないですよ、もちろん。
上でも書きましたように、朝8:30から働いて17時には通常勤務が終わります。
そのまま当直が始まります。
17時から翌日8:30まで働いて終わり!ではなく、そのまま通常勤務が始まります。
8時30分から17時まで。運が良ければ当直で寝られる時もありますが、めちゃくちゃ寝心地の悪いベットで熟睡はまずできません。
写真撮っておけばって後悔しますが、かなり質の悪い二段ベットで研修医と寝たこともあります。
何時代の話ですか?って思われるかもですが、10年経ってません。
そんな感じのところで、だいたい36時間連続勤務をしていることになります。
心も体も懐も疲れ果てています。
大学病院でどうやって収入を得るのか?
大学病院からの給与はゼロ、むしろ、働かされているのに授業料(年50万円)は取られるという謎な状態。
さらには、大学病院では勤務していることにはなっていませんので、健康保険も自分で加入しないといけません。
当時は、医師健康保険というのに加入していました。家族全員で6〜8万/月くらいだったと思います。
なんだかんだで年間100万もかかるのか〜って嘆いてた記憶もあります。
さらにさらに、医療ミスなどしたときの賠償保険も入らないといけません。
通常の病院は勤務している医師の賠償保険は支払ってくれるのですが、なんせ、大学病院で働いてるけど雇用契約は全くしていないので自分で支払わないといけません。年間10万くらいですね。
そうです、バイトです。
ご存知の方もいるかと思いますが、大学病院の下っ端医師はバイトで生計を立てています。
大学病院に入りたてのときは、バイトなんて自分で見つけられませんから、また、今みたいにバイトを斡旋してくれるような会社もあまり普及していなかったこともあり、医局といって所属する専門科の重鎮がバイト先を斡旋するという感じでした。
斡旋されるバイト先っていうのが、まぁ不人気のところ多かったです。
斡旋されたバイト先は最低1年間は務めないといけません。1年間終了したらそのまま継続するか医局に返還するか選べます。
年度が変わると大学から去る医師もいるので、その医師から「おいしいバイト先」を引き継げたら、「しょっぱいバイト先」は医局へ返還することになります。返還された「しょっぱいバイト先」は、また新たな奴隷、いや、大学院生に引き継がれて、永遠と「しょっぱいバイトリレー」は繰り返されていきます。
私が医局から斡旋された一番しょっぱいバイト先の話をしましょう
そこは、毎週金曜日18時から翌日朝9時まで当直します。
救急病院ではないので病棟の急変がなければ寝られるんですが、トイレが離れたところにあって暗くて怖い、寝る部屋にムカデなどの虫が湧く、シャワーがない、布団や壁がめちゃくちゃくさい消毒液の匂いがするなど耐え難い状況でした。
前任の女医さんは、トイレで大きなムカデが襲ってきたとのことで、それ以来、極力脱水状態で当直しトイレに行かないように修行…いや、当直していたとのことです。
ちなみに、夜中は病院のあちらこちらから「きゃあああああ」「ひぇえええええええ」といった認知症の患者さんの悲鳴声が飛び交います。
最初は、めっちゃ怖かったです。まぁ慣れます。
そこで一番切なかったのは、当時WBCの日本VS韓国がやっていてめちゃくちゃ熱い試合を繰り広げていたと思います。当直室にテレビが置いてあったのですが、まさかのブラウン管で地デジに未対応。
めちゃくちゃ見たかったのですが、「現在放送されていません」で見られませんでした…
悔しさで、いまでも写真が残っていました😂
ちなみに、ここでの当直代は3万円/回でした。
バイトで年収どれくらいになるか
斡旋で週のうち平日1日はバイトにいっていたので、当直なども合わせると年収900〜1000万円いくかいかないかくらいでしょうか?
ここから大学院の授業料、保険などなど支払いますから手元に残るお金っていうのはそれほど多くないです。一般の方が想像するほど華やかな世界ではありません。もちろん、家賃手当とか通勤手当とかありませんし、大学院1年目は貯金はできませんでした。
年度が変わる頃には、おいしいバイト先を所持している先輩が去る場合があり、その先輩からおいしいところを引き継いでバイト先を強化していくことが大事でした。ドラクエみたいな感覚でパーティーを強くしていくようでした。
大学院2年目になると、より臨床に深く従事し研究も進めていく人には大学から社会人枠として非常勤雇用され給与がでることになります。ただ、全員じゃないです。枠に限りがあるので。
理由は、月々18万円くらい給与がでるのに加えて、健康保険を払ってくれる、雇用形態が形成されたので医療ミスがあっても守ってくれる(可能性がある)からです。
家賃手当などはもちろんでませんが、健康保険は非常にありがたかったです。
どこのブラック企業やねんってツッコミ受けそうですが、健康保険も賠償保険もはらってくれないで勤務させられる(サービス奉公させられると言っていました)というのは非常に不安なものです。
まぁ、本当に意味不明なのですが、大学院に通わせてあげるから無給で働けよっていうのが、暗黙の了解でしたね。いわゆる、やりがい搾取ってやつでしょうか。いや、大学院の在籍を人質に取られているような感覚ですね。
大学院2年目以降は、おいしいバイト先も揃ってきて比較的貯金もできるようになってきました。
大学院2年目以降
そもそも大学院とは、
ということを目的としています。
いわゆる「医学博士」という肩書きをゲットします。大学教授とかなるには必須の称号ですね。
ただ、この称号をゲットしても給与が上がるわけでもないし、大学教授を目指さない限り、いまのところ自己満でしかないです。
医学博士取得のために、本来であれば大学院はいってすぐに研究に従事したいところですが、「サービス奉公」として無給の病棟勤務を課せられるので研究もままなりません。実質2年目以降が勝負となります。
研究や論文を書いたことがある人はわかっていただけると思いますが、研究して論文を書くって早くて2〜3年はかかるんですよね。つまり、大学院2年目から研究を始めても論文として世に出るまで結構ギリギリで時間がないんです。
長くなるので、詳細は「医学部大学院で研究するということ」というテーマでいずれ書きたいと思います。
私の場合、試験管などの実験をテーマに選ばず、臨床研究といって患者さんのデータからいろいろ研究させていただくということを選びました。臨床研究のほうが、未来の患者さんにすぐに役立つ可能性があるし、診療に結びついているので結果もイメージしやすいです。
臨床研究を選ぶと、日中は患者さんの検査や治療に従事しますし手術をしたりもします。そして、診療などが終わってから研究に従事するので、いつも夕方からデータを解析したり、まとめたりしてましたね。ほぼ毎日日付が変わってから帰宅していました。
そうでもしないと、日中はめちゃくちゃ働いていたので研究する時間が取れなかったからです。大学院4年間で論文が世に出ないと、大学院5年目、6年目というふうに永遠に続いていきます(永遠ではないですが、延長になるケースは少なくはないです)。
大学院3年目以降はCCUといって心臓専門の集中治療室の主治医をするようになりました。まじで忙しかったです。
毎朝、毎夕回診し患者さんの問題点、改善点を議論し治療にあたります。心臓の病気は、病気によっては秒単位で状況が変わるのでのんびりしてられません。
今回の主題である
は、CCUの主治医をするようになったときに起こりました。
まとめ
前置きがかなり長くなりましたが、大学病院で下っ端で働くということはまぁまぁ過酷です。
長くなりましたので、つづきは次回のブログに記載いたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
👇つづきです。さらに過酷な実態を赤裸々に暴露しています。
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